ボランティアの罠
こんにちは、船ヶ山です。
ボランティアを行う人は、
「心が綺麗」
などと表現されることがあります。
確かに、活動としては
素晴らしいことですし
それによって助かる人も
いるかもしれません。
が、
ボランティアを行う人は
弱い立場の人を助けているのに
「なぜ、苦しむのか?」
というと、
お金の余裕がないのにも拘らず
善人ぶるから続けることができず
苦しむ羽目となるのです。
ここはボランティアを行う人が
見過ごしがちな点となります。
このようなこと言うと、
善意の気持ちで行っている人に
怒られそうですが、
素人が何かを手伝ったところで
足手まといになるだけです。
それであれば自分の得意な分野で
お金を稼ぎ、現金を渡した方が
彼らも助かります。
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だからお金持ちはボランティアを
ではなく「寄付」を行うのです。
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かといって、
お金で全て解決できるわけでは
ありませんが、
ボランティアというと
そもそも、お金ではなく時間や
労働を提供する人が多いのか?
それは、
何もなく自己犠牲が強い人は
ボランティアを行うことで
「この場にいていいんだ」
という安心感を得ることが
できるからです。
「認めたくないけど反論できない」
というのが率直な意見だと思います。
なぜなら、
「自己犠牲」
というと聞こえはよくありませんし
そんなつもりないという人も多いと
思いますが、
ボランティアを行う人は、
見ず知らずの誰かを助けることで
自分が助けてもらっているという
自覚を持たない限り、
一生、見えない奴隷を虐げられる
ことになります。
また、そのことに気付けない限り、
自己犠牲に酔っているだけの
痛い人に成り下がってしまうので
弱い立場の上に立ち
余韻に浸る暇があるのなら
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得意なことでお金を稼ぐことです。
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お金さえ稼げれば、ボランティアを
行うという発想はなくなります。
困っている人には寄付すれば
いいですし
それでも助けたい関わりたいと
いうのなら
お金を稼ぎ、自分の生活を安定
させてからでも遅くありません。
この根底部分を抜かしてしまうと
自分の居場所を確保するために
善意を装ったボランティアに
逃げることになりますので
「自分の本当の価値」
に気づいてもらうためにも
ボランティアではなく自分で
稼ぐ力を身につけることです。
そこさえ抑えることができれば
「人助けして、貧乏になる」
ということはなくなります。