「型破り」と「型なし」の違い
こんにちは、船ヶ山です。
武道の世界には、「守・破・離」という
言葉があります。
知らない人のために、簡単に説明すると
1.最初は、先生の教えを忠実に「守」り
2.これまで守った教えを「破」壊し
3.最後は、ステージを上げるべく「離」れる
というものになります。
ただ、これは武道の世界に限らず、
どの分野であっても成功が早い人は
この守・破・離を採用しています。
これは僕の元で勉強している人は
嫌というほど耳にしているという
かもしれませんが、
同時に、意識しなければいけない
ことが1つあります。
それは、
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「型破り」と「型なし」
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は根本的に違うということです。
型破りは、冒頭でお話しした
守・破・離をベースに自分の
スタイルを確立する行為と
なりますが、
型なしは、違います。
最初から何かを手掛ける際も独学で行い
無駄なことに時間、労力、お金を失って
いることにも気づけていない愚か者です。
このように言うと、
「そんなことない私は自分の力で
成し遂げる。やってやる」
という人がたまにいますが、
世の中には、何事も形があります。
上手くいく形は、先駆者が構築し
「完成されたパターン」
というものがあります。
無視しても無駄が生まれるだけです。
そして残念なことに、
誰にも習わずやったとしても
結局、最後行き着くのは
先駆者が構築した形となります。
だったら、始めから習った方が
賢い人のやり方ですし、
独自で行き着いたところで
誰かが褒めてくれるという
ことはありません。
だから成功が早い人は効率を求め
成功している人にお金を払い
「やり方を教えてもらう」
ということを選択するわけです。
が、
あなたは、どうでしょうか?
きちんと学べていますか?
そして、そこに1mmであれ
独学の要素を入れていませんか?
もし、そこに例え少ない量であれ
独自の考えを入れるのは自滅行為です。
これは、綺麗な水に唾を入れるのと
同じで量の問題ではありません。
少量であれ汚いものを入れれば
汚染され飲むことはできません。
これも言い換えれば「型なし」です。
先生に習ったととしても
100%コミットし
完全マスターしなければ
型がないことになります。
非常に勿体ないです。
100%でなければ「偽物」です。
似ているだけで本物ではありません。
それが嫌であれば、1mmも逃す
ことなく学び吸収することです。
それさえできれば、あなたは
正式な後継者となり、弟子と
呼ばれる日もそう遠くはありません。