先生と呼べない人からは習うな
こんにちは、船ヶ山です。
世の中には、「先生」と
呼ばれる人がいます。
・政治家
・医師
・弁護士
・教員
・コンサルタント
etc…
業種は、様々ですが、
彼らに共通することは
他の業種と違い
業者扱いされることも
なければ、
敬われる存在として
扱われています。
ただ、これは業種に
影響されるというよりは
人です。
その証拠に、政治家であれ
先生ではなく○○さんと
呼ばれている人はいますし、
教員であれ、学校の外では
○○さんと呼ばれています。
だからといって、
先生と呼ばれることが凄いのか?
ということではありません。
が、
何かを習うのであれば、
「先生と呼べる」
人から習わなければ、
時間をロスします。
というのも、
先生という言葉には、
「敬う気持ち」
が含まれており
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「見えない上下関係」
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を作ってくれています。
それを示すいい例は、
あなたは「格下」の人に対し
先生と呼ぶことはありますか?
もちろん、ありません。
これは、あなただけに限らず
学校の生徒であれ格下だと思う
教員には、呼び捨てにし
尊敬している講師には
「先生」
と呼び敬意を言葉で示します。
この観点で考えた場合、
あなたは、どちらから学びますか?
呼び捨てないし、さん付け
している人から学びますか?
それとも
先生と心から尊敬する人から
学びたいですか?
このように比較すれば、
「後者の先生」
から学びたいと誰しもいうはずです。
なぜなら、
前者のような人から学んでも
何かが身に付く可能性はない
からです。
というのも、
心のどこかで自分の方が偉いと
思っている相手の言葉など
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1mmも入ってきません。
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これでは習うだけ時間の無駄です。
それ以外にも近すぎる存在は、
お互いがお互いをコケにし
格下に見ているので
仮に習得できたとしても膨大な
時間を要することになります。
その典型例は、
「親が教える授業」です。
我が家は、子供たちが生まれて
すぐに海外暮らしだったので
日本語を話すことはできても
読み書きができません。
最初の頃は、妻が日本語を
教えていましたが、
数分も経たずに、怒り出し
教える(指導)どころの話
ではありません。
また、子供達も同様に、
先生として見ていないので
どこか抜けています。
結果、膨大な時間をかけ
何度、同じことを勉強しても
取得することができませんでした。
そこで、家庭教師を依頼し
先生に教えてもらうことに
すると、
ほんの数日で日本語を読みだし
ひらがなであれば書けるように
なってきたのです。
このように言うと、
「教え方が上手いからでは?」
という意見もあるかもしれません。
が、
それは、確かに一理あります。
ただ、
妻も独身時代は、企業コンサルを
行なったり講師業を手掛けていたので
教えることに対して、全くの素人と
いうわけではありませんでした。
にも拘らず、
対相手が家族ともなると、
親という存在が邪魔をし
先生になることができないので
感情をぶつけ合い険悪なムードに。
こんなことしていたら
「本来の目的を見失い」
何かを教えるということ
などできません。
これは家族が教える言葉に
限ったことではありません。
ビジネスも同じです。
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先生と呼ばない人から学んでも
時間を無駄にするだけです。
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今は、どの分野においても
先生など巨万といます。
先生は、結婚相手と同じで
手当たり次第、告白すれば
いいということではありません。
結局のところ
人生を変えるのは1人の先生です。
言い換えれば、心から尊敬できる
先生に出会うことさえできれば
成功することは、簡単です。
なぜなら、
そこには先生が敷いてくれた道が
すでに存在しているからです。
そこを歩くだけで成功できます。
が、
その道に気づかず40歳を越えて
ワンナイトを続ける人生は、正直
気持ち悪いですし
考え方を早く変えないと
成功する前に寿命を迎える羽目
となりますので、
限られた人生を最大限活用する
ためにも
「先生と呼べる方に出会い」
みっちり指導してもらうことです。
そこさえ抑えることができれば
刺激的かつ見違えた人生を手に
することができます。